[地下鉄サリン事件]
1995年3月20日、午前8時ごろ、東京の帝都高速度交通(現・東京メトロ)の丸ノ内線、日比谷線、千代田線の計5本の電車内に、神経ガス「サリン」がほぼ同時に散布された。乗客・乗員合わせて13人が死亡し、負傷者は6000人を超える。
化学兵器が一般市民に使われたとして、国内のみならず世界に衝撃を与える。
警視庁はオウム真理教の犯行とみて強制捜査に入り、教祖・麻原彰晃(本名・松本智津夫)をはじめ、信者およそ40人を逮捕した。
被害者の多くは後遺症で今も苦しんでいるが、専門家はおらず、サリンが人体に及ぼす影響についてもよくわかっていない。時間がたつと後遺症なのかどうかもわかりにくくなる。治療法もケアも確立していない。
1995年3月20日、サリンがまかれた車両に乗り合わせ、
いまも後遺症と闘い続ける一人の被害者。
事件当時、日本にいなかったことで、
極刑を免れた元オウム真理教幹部。
その2人が20年の時を経て初めて向かい合った6時間の記録。
被害者と元オウム幹部の「対談」刊行は初めて。
僕は、被害者として嫌な思いをたくさんしました。それは、世の中の人たちが被害者のことをよく知らないということに端を発しているように思うんです。被害者の僕から見れば、「何も知らない人」がこの事件についてコメントしています。「自分の認識には限界があるのではないか」と自覚することもなく、わかったようにコメントする人が多すぎます。
だれも、サリンの後遺症に苦しむ被害者の声に耳を傾けようとしません。一方で、だれも加害者の話を聞こうとしません。だから被害者である僕が加害者の話を聞くのです。
――さかはらあつし
私はオウム真理教が関与した事件の加害者側にいながら、ロシアに行ったことで死刑になるのを免れました。かつての同僚十数名は死刑囚となりました。
私は加害者側で、さかはらさんは被害者側でお互いにサリン液を見ていて、死の直前まで行き、不思議な理由で生き残り、二十年後にここで向かい合っている。この対談は、後世の人になるべくありのままに事実を伝えるための機会ではないかと思っています。
――上祐史浩
[装画について]
カバーのイラストは、地下鉄サリン事件が起こった当日のさかはらあつしのイメージをもとに描かれている。
「地下にあった社員用のジムから地上に出て空を見ると、薄暗い青空が広がる中、太陽が輝いていた。あとでわかったことだが、サリンを吸入したことによって起こった縮瞳のために、太陽を直視できたのだ。この情景はいつも、遠くに鳴るサイレンの音とともに想起される」(さかはら)
担当編集から一言
この対談は、2014年7月30日と31日の両日、行われました。
被害者と元オウム幹部が向かい合い、
被害者と加害者という立場を超えて、「人と人」として同じテーブルにつきました。
双方に覚悟がなければ実現しなかったでしょう。
サリン被曝者はそれを公言すると差別を受けると聞きます。
加害者側は一方的に非難され、袋叩きにされても反論はできません。
この対談では、「断罪も肯定もしない」と冒頭で明言したさかはらさんから上祐さんに、
いくつもの質問が飛びました。
その中には「上祐さんは結婚しないんですか?」という質問も。
詳細については、本書をぜひお読みいただきたいと思います。
なお、さかはらさんは現在、アレフの荒木浩さんに密着し、
オウム真理教の真実に迫るドキュメンタリー「一枚の写真」を製作中です。
クラウドファンディングによって資金調達中です。
詳細はこちらから。
はじめに
全人格、全経験、全知見をかけて―さかはらあつし
被害者と加害者の証言―上祐史浩
第一章 一九九五年三月二十日、八時四分、あの日いつものように
第二章 「絶対的帰依」という無限ループ
第三章 被害者の二十年、元オウム幹部の二十年
第四章 被害者六千人超、その賠償と責任
第五章 宗教の本来の役割とオウム問題の根
おわりに
オウム問題をどう終わらせるか―さかはらあつし