「家に帰りたい」
14歳の少年は、最期の日々を自宅で過ごすことを望み、
自宅の一室で静かに眠りについた。
両親は少年の墓石に「証」の一文字を刻んだ。
最期まで輝きを放ち続けた少年の人生、
そして少年を失った家族の再生の記録。
【タイトルについて】
主人公の少年・亮君は、亡くなる1年10ヵ月前に、夏休みの読書感想文の図書として『夏の庭(The Friends)』(湯本香樹実著)を選び、次のような一文を書いています。遺された父(著者)は、この一文に励まされて深い悲しみと喪失感を乗り越えました。本書は、その父が、息子の「死」ではなく「生」を書き残した作品です。
【「はじめに」から抜粋】
亮と過ごした15年近い日々はかけがえのない至福のときでした。幼少期から心身ともに存分に成長するところを見せてくれましたし、病気になってからも、10代の前半を懸命に生きる姿は輝いていました。
そんな存在を喪(うしな)ったのですから、私たち家族ははかりしれないほどの深い喪失感を味わいました。
しかしその後、絶望の淵に沈んだような気分から少しずつ立ち直ってくると、もうちょっと別の感情が芽生えてきました。
ちょうどジグソーパズルで、ピースが埋まらずに欠けている部分が目立ってしまうみたいに、欠落しているからこそ、その存在が際立つことがあります。
亮の不在は私たちのなかで欠落したピースとなりましたが、その部分が決して空洞になったわけではなく、むしろよりたしかな存在感を放つようになったのです。
【小児科医・細谷亮太さんからのメッセージ】
記者、編集者だった父親を悲劇が襲う。十五歳を目前にした我が子の死。それから十七年の月日が過ぎ、ようやく彼は病と闘った息子の事を語り始めた。
発病、再発、転院、在宅ターミナルケア、死、そしてその後に家族に起こった様々な出来事を抑制の利いた文章で綴(つづ)った。何よりも読者の胸を打つのは時の流れに逆らわずに真面目に生きる家族の生き方、それぞれの再生である。
満を持して書いた絶望、癒しに続く希望についての物語。
(聖路加国際病院顧問、小児科医、細谷亮太)
担当編集から一言
原稿を受け取った日、一気に最後まで読みました。編集者のサガとして、内容に引かれて一気に読むという読み方はしないので、非常に珍しいことです。
この作品のテーマは「がん」でも「医療」でも「闘病」でも「早世」でも「命」でもありません。亡くなる直前まで自分の意志で生きた14歳の亮君が主人公であり、「命」ではなく、亮君の「人生」を描いています。読み進めれば進めるほど、亮君の姿が浮かび上がってきます。不思議な読後感の作品です。
近い年頃の子を持つ親としては、自分の子との関係にまで思いが至りました。では、若い読者はどう思うのか。20代の男性スタッフに読んでもらいましたが、「泣きそうになった」という感想でした。
カバーの画は、主人公の亮君が小学校2年のとき、学校の授業で書いた「教会」です。7年後、亮君はこの教会でこの世から旅立ちました。
第一章 発病
小さな赤ん坊/右眼に見つかった異状/はじめての手術/「厳しい現実」の宣告/「がん」という言葉を出さずに/ギリギリの放射線治療/「富士山に登れば死ななくてすむのかな?」
第二章 再発
喉に刺さった小骨/十数枚のペナント/13歳の日常/大人への階段/並走する家族/肩を寄せ合うように/暴れ出した悪魔/二度目の長い手術/平穏という隠れ蓑
第三章 転院
念じる気持ち/再々発/埋められない意識の差/迷い、考えた末の選択/本人への説明/壮絶な化学療法/希望の地平/担当医の本音
第四章 帰宅
久々の安寧/ターミナルケアの現場/三つの約束/一時帰宅/14歳のリアリティ/在宅のターミナルケア/「がまんしてたんだから」/東京ドームへ/「死んじゃったほうがましだよね」/医師の沈黙/「ありがとう」を遺して
第五章 昇天
多くの人に見送られて/新たな日常/哀しみの塊/喪の仕事/「証」の一文字/もうひとりの息子/もうひとつの問題/追体験
第六章 再生
たどり着いた今日/もうひとりの息子の生還/がんとがん医療に思うこと/ターミナルケアの進歩/メメント・モリ/悲嘆のプロセス/多くの出会いに支えられ/息子の本棚
おわりに いま、想うこと